過保護な親に育てられた子供達の傾向

過保護で過干渉な親に育てられた子供達の傾向

ホリデーの間に友人家族と会う機会が何度かあったのですが、そのなかでもシンガポールから帰省中の友人家族がとても気になりました。

シンガポールは教育熱心で有名な国です。彼らはシンガポールで共働き。子供達をシンガポールの公立小学校に通わせ、学校の後は音楽やスポーツなどお稽古事がめいっぱい。長期休暇は家族で子供たちのスポーツのコンペのために国外遠征にいくほどの力の入れよう。

過保護で過干渉なパパの言葉

これまでも家族ぐるみで付き合っていて、二人の子供達はとても素直でかわいらしく、ご両親もとてもいい方たちなのですが、教育熱心なシンガポール人ならではの、過保護で過干渉な教育スタイルがとても気になってしまいました。

例えば、お父さんは食事の間は長男君に指示しっぱなし。

「これをたべなさい」「これは食べてはだめ」

「食べてるときはしゃべらない」

ああしろ、これはだめのオンパレード。

長男君はというと、気が強いのでパパに負けていません。いいわけしたり、反抗したり、聞こえないふりをしたり。。。言われたことを素直に聞かず、反抗するたびに怒られています。

我が家に遊びに来てくれた時に、まだ自転車を補助輪なしで練習したことのなかった長男君に、我が家の小さめの自転車を貸して「公園に行こう」と誘いました。

長男君もおもしろそうと、自転車にまたがりました。笑顔でよろよろと地に足を着けながら前に進む長男君。まだペダルは焦げませんが、それでも一生懸命前へ進もうと頑張っています。

すると突然このスパルタパパが

「いや、そうじゃない!」

「集中しろ!」

「あちこちよそ見するから、ふらふらするんだ!」

と長男君に声をかけ始めました。

私はびっくりしてその様子を見ていましたが、せっかく外で遊んでいるのにかわいそうだな~と思って、スパルタパパが妹の方の相手をしているすきに、その子とパパを引き離しました。

自転車の後ろを持ってあげて「大丈夫落ち着いてペダルをこげばいいよ」と声を書けたら、少し手助けしただけでするするっと補助輪がなくても乗れるようになりました。その時の笑顔の誇らしげなこと!

2つ年下の妹ちゃんはというと、長男君とは正反対のとてもおとなしい子。常に親の顔色を伺って、言われるとおりにしています。体も小さく声もか細く、いつも守ってあげないといけないような、そんな気持ちにさせられます。

彼女はパパに怒られたりすることはありませんが、なにかあると「泣く」か「具合が悪くなる」という武器を使って、自分のほしいものややりたいことを手に入れようとします。

過保護で過干渉な親に育てられた子供達

過保護で過干渉な親というのは、要するに「コントロール欲」が強い親です。言い方をかえると、子供とのバウンダリーがはっきりひけていない親。

このスパルタパパが子供たちに教えたいことは、社会でのルール、食事のマナー、友達に優しくすること、親の言うことを聞くこと。。。そういう「世の中で知っておくべきこと」なのでしょう。そしてその気持ちの根底にあるのは、子供達への深い愛情です。

しかし、過保護で過干渉な親に育てられた子供は、自制心や道徳心の発達が遅れ、「これをしたら、叱られるかどうか?」ということが善悪の判断基準になってしまうこともあります。

父親は「正しいこと」を教えているつもりかもしれませんが、子供は社会的道徳的な正しさではなく、「父親の機嫌」をとるにはどうしたらいいかということを行動の判断基準にしてしまっては意味がありませんよね。

以前アメリカで『タイガーマザー』という自伝的エッセイが出版され話題になりましたが、このタイガーマザーの教育スタイルも過干渉なスタイルでした。普通の子供が楽しむようなアクティビティを禁止し、子供に学習とバイオリン・ピアノの厳しい練習を課した結果、娘のうち一人はピアノに秀でアメリカ名門大学に合格しましたが、もう一人は母親に反抗的な態度をとるようになりました。

容赦なく叱ったり絶対服従を強いていると、子供は長男君のように「自分を主張して反抗」する子になるか、妹のように「親の顔色をうかがって服従」する子になるかのどちらかではないかと思います。

子どもの自己肯定感がUPするまほうの50フレーズ

一番大切なのはつながり

さらに親が子供に対していつも「私が正しくてお前は間違っている」という態度でいると、大切なものを見失ってしまいます。

それは「親子のつながり」です。

「親と子は家族なんだからつながりがあるのは当然」なんていうことは、実はありません。近い存在だからこそ大切にしていないと傷つけてしまうし、深く傷ついた子供たちは自己肯定感が低いまま、大人になってしまいます。そして、大人になった後も「親は私のことを愛してくれていたのだろうか?」と思い返すのです。

孤独は心理的ウェルビーイング(健康)脅かす大きな要因であることが指摘されています。どんなに子供たちがスポーツでトロフィーを得たところで、親子のつながりが失われてしまっては意味がないのです。

「正しいこと」を教えるのも時には必要かもしれませんが、それは指示や批判のような一方通行のコミュニケーションではなく、対話という双方向のコミュニケーションであるべきです。そして対話は相手を尊重することからはじまります。

できない事を注意するのではなくできるようになったことを一緒に喜び、親が「あなたならできる」と信じてあげるところから自己肯定感は高まります。

盆栽のようにいつも手入れを欠かさず、親の思うような形にねじ曲げて整えるのではなく、のびのびと好きなだけ自由に伸びていけるよう、時にはすこし遠くから見守る勇気が親のほうにも必要なのかもしれません。

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ABOUTこの記事をかいた人

マレーシア在住 心理カウンセラー・アロマクラフト講師。海外在住歴20年以上の経験から海外在住者ならではのお悩みや、国際結婚をした女性を対象としたカウンセリングを得意とする。子育てや夫婦関係の悩み、親子関係のトラウマなどを感情から開放するセラピーをオンラインにて提供中。